なんにもわかっちゃない

キスマイとセクゾとつんくとハロプロ

アイドルの終わりについて - 変わらないものが 無い事も知っているけど

もし次更新することがあれば鞘師の卒コンを想定して歌ってほしい曲リストをつくってつんくの歌詞のここがやばい!を描き綴ろうと思っていたのですが、ベスアのKAT-TUN田口の発表で「男性アイドル」にも始まりがあれば終わりがあるという事を再認識させられたので、そのことについて今の自分の気持ちをまとめとこうと思います。

(※KAT-TUNファンにはしらんがなっていうような軽率な内容だと思うのですみませんが自衛のほどよろしくお願いします)

キスマイにはまった当初はアイドルとしての玉ちゃんをこんなに楽しませてもらっているのだから、玉ちゃんがアイドルより結婚とか、自分の幸せとか、そういう大事なものが出来たらそれをまっとうしてほしい、玉ちゃんが幸せになってくれるならそれでいい…と思っていた(つもり)でした。
でも半年追いかけてきて、「アイドル」である玉ちゃんが当然になって、玉ちゃんがアイドルである自覚やキスマイという場所を何よりも大事にしている内容のインタビューを日々目にしていくことによって日常になり、すっかり「男性アイドルは終わりがない」なんて幻想に囚われてしまっていたようです。
偶然にも田口くんについてはこの発表がある前日に友人と「がつーん」を聞きながらツイッターで話しをしていました。
そんな、あたりまえだったものも、次の日になれば急にあたりまえじゃなくなるし、本当に変わらないものなんてないんだな…。
玉ちゃんだって、キスマイだって、どんどん変わっていくし、その変化が私にとって「いい事」もあるかもしれないけど「いやな事」になる可能性だって十分あるんだ。
ハロプロだってつんく♂が総合プロデューサーじゃなくなるなんてその発表がある前までは思いもしなかったし、つんくの言葉を借りるならば「未来の事はどんな誰も絶対なんてありえない」んだな……。
なんか、それを目の当たりにして、少なからずショックを受けています。
何にショックを受けているかというと、「変わらないものが無い事を知っているつもり」になっていたことなのかも。

「男性アイドル」いや、「ジャニーズ」について「永遠性」を見いだしてしまったのは、SAMPの存在であり、V6、TOKIO、嵐の存在であるのかな。
元々ハロプロを応援していて、何度も終わりを経験していて、それだけにそんな「ジャニーズ」の何年経ってもアイドルやってる、おっさんやん!みたいに思ってもそれでもアイドルを全うし続けている姿を横目でみているうちに、なんだかそこにへんに夢をみてしまっていたのかな。(ジャニーズでもこうやって長年続いているグループだけではないのに)

女性アイドルってやっぱりはじまった時点である程度「終わり」を想定してしまうもんなんですよね。
モーニング娘。だって始まった当初はまだしも、今では入ってきた時点で「卒業」するという事を前提に応援してしまっています。
まあそのへんは娘とベリキューはじめ他ユニットとで多少違いはあれど、やっぱり女性アイドルって「年齢」という壁がどうしても待ち受けているんですよね。(声優アイドルはそのへんまた違ってきますが)
だからなのか、ハロプロを応援するときは娘では誰々、℃-uteでは誰々、アンジュルムでは、juice=juiceでは……なんてどんどん推しを増やして、一人に入れ込まないように無意識に自衛している節があります。

なんだかまとめようとしても全然まとまらないんですが、この件を受けて、
>変わらないものが 無い事も知っているけど
>その手を握る強さ 交わす言葉の温度は
>きっとそのままで
>このままで 僕らずっと
>なるべくゆっくり歩こう
と自担が自担が大好きな子と一緒に、シビアなようで夢をみている歌詞を歌い、おたくたちに夢をみせ、コンサートで結婚式を挙げ、BL写真集を出してくれているのであればお金が尽きるまで応援しようとなんだか変な思いが芽生えてしまいました。
自担のためという名目のもと、ただ自分の幸せのためだけなのかもしれないけれど、「なるべくゆっくり歩く」姿を全力で追いかけようと思います。
なんだか、この年になって久しぶりに「教育」をほどこされている気分です。