なんにもわかっちゃない

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映画「溺れるナイフ」感想

溺れるナイフを見てきました!
以下感想です。

 

「目」が印象的な映画だった。

「神様が見てる」*1——東京から家の都合で和歌山の祖父のもとに引っ越してきた夏芽が、その土地の者たちの閉じられた空間の宴から逃げ出すように行き着いたのは、そう書かれ、目が2つ並んだ注意書きの看板のその先だった。

そこでふたりは出会ってしまう。そこに理屈はないのだろうと思う。二人はもう、目が合った瞬間に惹かれあう他なかったのだろうと感じた。
大友が後で言っていたようにこの頃のコウちゃんと夏芽は「特別だった」。でもずっと特別な存在として生きてくのは難しい。いや、それは人間としていきている限りは出来ないことなのだ。
コウちゃんが夏芽の隣で「特別な存在」として生き続けられないと、初めて実感したのがあの火祭りの日なんだろうなと思う。すぐそこにあるものを、守れなかった。自分のものである夏芽を、あのときどうすることもできなかった。あの出来事は夏芽にとっても大きすぎる出来事だったけれど、コウちゃんにとっても自分という存在が揺らぐくらいの、一生に一度の出来事だった。

あの火祭りの日を境に、一度世界は組み替えられた。「呪い」を纏った世界に、何もかもが変わってしまった。ふたりの全能感はここで一度失われてしまう。けれど、夏芽とコウの中に宿る火は、まだ消えていない。思いを閉じ込めようとしても、どうしても溢れ出てきてしまうのだ。お互い別の道を歩もうとしているときの二人の目は、それこそ生気を失っていたように感じた。あんなに自信に満ちあふれ、キラキラしていたふたりの目はそこにはもうなかった。それがとっても悲しくて、私はどうしてもあの目を、あのキラキラを、あのヒリヒリする輝きを取り戻してほしいと思った。二人が、二人で。
あのとき、死んだように生きていた夏芽に、思春期の女子特有の感情を宿して語りかけるカナの目がまた印象的だった。ずっと本音を自分を守る嘘でぐるぐる巻きにしていた彼女が、夏芽に対等(もしくはそれ以上)に並べたと感じたからこそ見せた本当の感情がその目に感じられた。そして、そんな夏芽を毎日毎日目で追っていた大友を思うと胸がぎゅっとなった。夏芽がひとりグラウンドの端っこでお弁当を食べているときに声をかけた大友が、さりげなく毎日夏芽を見ていると告げたシーン、今思い出してもすっごく甘酸っぱい。

椿の蜜を吸うシーンで、隣にいる大友より、過ぎ去るコウちゃんを目で追った夏芽。それがもう全てだったんだよな。
大友がやっとの思いで誘ったデートの前に、ひとつだけ赤く塗られた爪は、その後あっけなく、青に塗り替えられる。

コウちゃんは、夏芽を送り出す為に、最後に答え合わせをする。
あの出来事があった異常、夏芽の「神さん」で居続けるためにはコウちゃんにはこの方法しかなかったんだなと思うと胸が苦しかった。
夏芽は、東京に戻って「芸能界」で生きる選択をする。

奇しくも、同じ火祭りの日にレイプ犯がもう一度やってきて、「呪い」を解くチャンスがやってくる。コウちゃんがあの男を殺し(間接的にだが)、夏芽の中でコウちゃんは揺るぎない「神さん」となった。

夏芽は、大友のことを思い出すことはあるのだろうか。レイプ犯の方が思い出す頻度が高いんじゃないかなって思ってそう思うと、*2切ない気持ちになったのだけれど、大友は大友で、夏芽以外の大切な人を見つけて大切な人たちに囲まれて、夏芽とのことは過去の事にして生きていくんだろうなって思ったら、それでいいのかもしれないな、と思い直した。
10代ときのあのヒリヒリした感覚を、夏芽はずっと追いかけながら生きていくんだろうな。夏芽はここで語られている物語の先も、ずっとヒリヒリ輝き続けられるのだろうな。コウちゃんにはじめて会ったときからずっとコウちゃんを追うときに見せたあの「目」で。
かつての「コウちゃん」が夏芽の神様だったように、その夏芽の姿は、あの土地でしか生きられないコウちゃんにとってもある意味、神様なのだと思う。だからこそ夏芽には「神さんであるコウちゃん」だけを信じて生きてほしいと願ってしまう。「コウちゃん」という神様を追い続ける夏芽を、後ろから眺める人間のコウちゃんに出会う事なく、輝き続けてほしい、と。

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映像が、ひとつひとつのシーンが、ストーリーが、そこで息をする登場人物の心情が、全部がヒリヒリ美しい映画だった。
全部が全部、ずっと好きしかない…!って思っていたのだけど、ひとつだけ、途中で流れる挿入歌に違和感を感じてしまった。急にサブカルの押し売りに?みたいな…。けれど後に雑誌の監督インタビューでその挿入歌について「未来からみて、ノスタルジーを感じる音楽になっていればいい」と言った内容のことをおっしゃっていて、だからかな、と腑に落ちた気がした。私の青春は2016年にはない。ここで流れる音楽が私の青春時代を彷彿とさせるものであったなら、挿入歌の感じ方はまた違ったのかもしれない。このインタビューでは、重岡くんが現代劇の映画に長時間出演するのが初めてとのことだから、重岡さんにとっての処女作を撮ろうという決意があったということも語られていた。重岡くんの一瞬一瞬を全部撮ってやるんだという意気込みで撮ったと。重岡くん演じる大友といえば、バッティングセンターの噛んじゃって言い直すシーンがすっごく印象的だった。あのシーンはほとんどアドリブなのかな?と見ていたら台本がほぼなくゲリラのように演じたとこまつなちゃんが言っていた。点が線で全部つながって、なるほどなあと思った。重岡くんにとって、この映画はすごく大きなものになるんじゃないかなあとおぼろげに感じる。結局私はお玉ちゃんのおたくなので、重岡くんがうらやましいと、羨ましい芸も同時に発症しているのだけれど。重岡くんのお芝居がもっとみたいなあと思った。それは、重岡くんの魅力を詰め込んでやろうという監督の意志が反映されていたからなんだろうな〜。羨ましい…。あと、カラオケのシーンもすごく好き。土足で心に踏み込んでくるコウちゃんとは対照的に、決して無理矢理心に上がり込むことのない大友くん。自分のせいで夏芽の目に涙が浮かぶのは絶対やだったんだろうな。「俺ら東京さ行ぐだ」を選曲し、全力で歌う大友の望み通りに、笑みをこぼす夏芽。それが大友の望んだことなんだろうけど、どうしても、どうしても私は泣けてしまった。

あと菅田くんは本当にすごい役者だなあと思った。思わされた。ずーっとコウちゃんだった。神様だったときのコウちゃんも、折れてしまったコウちゃんも、全部コウちゃんだった(語彙がない)。校閲ガールの菅田くんがめちゃくちゃ好きで、そのイメージ持ちつつ劇場に入ったんだけど、もうまったく別人だった。インタビューでも言っていたけど、かなり体重をしぼっているのが、はじめに画面に映ったシーンでみてとれた。(鼻筋がすごくシャープで綺麗で、神々しかった)こまつなちゃんはまずもうずっとスタイルおばけだよね。すごい。もうスタイルがすごい。そして印象的だったは走っているシーンと地団駄踏んでるシーン。頭のてっぺんからつま先まで全部にキラキラした粒を纏っているように感じた。演技というかもう存在がキラキラしていた。あとコウちゃんを見つめる「目」が本当によかった。

すごく感情が揺さぶられる映画を見た。泣きまくってしまったというのもあるけれど、見た後普通にぐったりしてしまった。自分の青春と似ても似つかないんだけれど、あの10代特有のヒリヒリした感情が凝縮されていて、懐かしさとともに、あの頃の感情が戻ってくるようだった。

*1:もしかしたら神様は見てるだったかも…細かいところはうろ覚えなのでニュアンスで…すみません

*2:紙面には載らなくとも、夏芽の記憶の一部として生き続けることが出来るあのオタクはなんて幸せなオタクなんだろう、とへんな羨ましさがある。どうでもいい余談すぎる。